サバ×サバな日々

メンタル不全により仕事からの敗走。休職というサバティカル、そしてサバイバルに向けて模索する日々のよしなしごと。

サバ生活総括・その1(前期:精神的引きこもり期)

12月の半ばに限界を感じて病院を受診し、その場で「すぐに休業したほうがいい」と言われた時に、自分の中でスイッチが音を立てて切れた。

まるでPCをシャットダウンするように、私の社会生活もシャットダウンされた感覚だった。

 

実際には診断書の提出やらサンギョー医との面談など、公式に休業するためにすべき手続がいくつかあったが、とにかく一刻も早く自らの心身を完全シャットダウンすべく、無我夢中で診断書を握りしめて職場に出しに行き、サンギョー医にも会い、大抵そういう日は帰宅するなり布団に倒れ込んでその後の記憶が無い。

むしろ、記憶していたくなかったのだろう。

これを言ったらドン引きされるかもしれない、いや、きっとそうだろうけれど、「自分の担当の仕事がやりかけの状態で大丈夫だろうか」とか「他の人に迷惑がかかっていないだろうか」という考えには及ばなかった。

今考えれば明らかに認知が相当歪んでいたのだけれど、とにかく職場のこと、仕事のことから離れなければ私は本当に狂ってしまうか死んでしまうかどちらかという状態だった。

医者に行ってから最初の3日間はとにかく布団の中に居るだけだった。とにかく一切の外界からの情報を遮断して、ひたすら目を閉じて寝ているか、目が覚めても何も考えずボーッとしているだけ、という時間を過ごした。そうすることしかできなかったし、とにかく頭からその時に余計と感じるものを追い出さずにはいられなかった。

 

世間はあと1週間ちょっとで年末休み、という時期だったので、「人さまより少し早い冬休み」と超ポジティブな解釈をすることもできたのかもしれないが、とにかく誰にも会いたくない、話もできないし、仕事や職場の話に持っていかれるのは絶対に嫌だ、というわけで、家に閉じこもって心も閉ざした。

職場の連絡係の方が、冬休み直前に「職場を不在にしている」というメール不在通知設定だけはセットしてほしい、と伝言を伝えてきた。(保健師Nさんには本当にいろいろとお手を煩わせることになり申し訳なかった。)

大量の精神的発汗を経て指示されたことを済ませると、また正気を失い、バッタリと倒れこんだ。(その日以来、職場のメールボックスを確認してみよう、という意識が持てるまで3ヶ月を要した)

 

そんな状況だったが、本当に家から一歩も出なかったかというと、唯一心をリリースできたのが「阿片窟」だった。

とにかく全身が過敏になっていたので、静かな時間を狙ってできるだけ空いている電車に乗り、相棒に護られるように有馬の麓に向かった。行ける日は可能な限り。

当時はまだ常連認定されていなかったし、お客さんも顔見知りはまったくできていなかった。「知り合いが居ない」ということは逆に少しだけ心の開放感に繋がった。90分、湊山のぬる湯に浸かってふやけることは、私のコチコチになった頭と心をほんの少し解す効果があったのだろう。

いずれにせよ、この時期の私の居場所は、心も身体も布団の中か阿片窟のお湯の中だけだった。