サバ×サバな日々

メンタル不全により仕事からの敗走。休職というサバティカル、そしてサバイバルに向けて模索する日々のよしなしごと。

サバイバル日記1049日目(松本清張を読む)

松本清張の作品を2つ、立て続けに読んだ。

まず「砂の器」を読んで、その後に「ゼロの焦点」を読んだ。

 

 

 

 

こんなに有名な作家の作品なのに、今まで読む機会が無かった。しかも、15年くらい前に、「砂の器」の舞台になった「亀嵩」を通ったこともあるのだが、その時も「砂の器の舞台」と紹介されていたにも関わらず、まだ本を手に取る気にならなかった。

5日ほど前、職場の人と、ちょうどその「亀嵩」を通る木次線の話をしたことをきっかけに、読んでみようかな、という気になって、思い立ったら即行動じゃ、ということで、Kindleで電子版を買ってゴロゴロしながら読破した。

結論からいうと、「ゼロの焦点」の方が面白かった。

砂の器」は、蒲田駅で発見された死体を発端に話が進んでいく。ずっと、焦点が当てられているのを仮にAとしよう。このAは評論家という設定で、結構言動がずっと事細かに記述されている。他にも登場人物がいて、その仲間や、この事件を追う刑事とその家族も出てくるが、読者の殆どは「Aが犯人で、刑事がAのやり口を暴くためにうろちょろし、その言動の裏取りなどを記述しているのだろう」と思いながら読んでいるだろう。かくいう私もそうだった。

しかし、最後の最後で大どんでん返しが起こる。犯人はAではなく、Bだった。

(以下は、ネタバレを含むので、詳細を知りたくない方は注意)

Bが犯人でもいい、のだが、じゃあ、今まであたかもAが殺人を犯し、逃げ回っている、あるいは仲間に証拠隠滅を手伝わせているような素振りを仔細に記述していたのはなんだったのだろうか。

「いやあ、それは全く別のことですよ、(Aが犯人と「思い込む」ばかりに、全然関係ないことまで疑わしく取っているあなたの問題でしょ」と言われてしまえばそれまで、なのだが、それにしては、「思わせぶり」な言動が多すぎるのだ。

例えば、Aは水商売の女Cが愛人なのだが、夜中にCの部屋に行った時に、たまたま向かいの住人とアパートの廊下で出くわす。そして、「顔を見られた」「引っ越せ」と愛人Cに言う。結局、愛人Cは数回住まいを変えるが、何回めかの引越し先がなんという偶然か、刑事の妹が営んでいるアパートだった。そして、家主の兄が刑事ということを知ってすぐに再び「引っ越せ」という。

いくら自分が有名人でも、「顔を見られた」とか刑事相手にビクビクしている描写が続けば、こいつ(評論家A)が犯人だ、と思わざるを得ない。逆に、Aが殺人犯でないならば、Aは何を恐れていたのだろうか?

これは、当時は新聞か雑誌に連載されていたので、締切と紙数の関係もあったのだろうが、最後のオチの説明がそれまでの(特にAの描写の細かさと)比較するとざっくりし過ぎていて物足りなく感じる。

Bの出自に忌まわしい過去があったという設定で、Bは上手いこと戦後のどさくさを利用して自分の過去を隠蔽することに成功していた。しかし、Bの過去を知る人物Xが突如Bの前に現れ(これが蒲田で殺されていた被害者である)、BはそのXを殺し、更にXを殺したことで生じた不都合を別の人物の死を重ねて誤魔化そうとする、と最後の種明かしではなっている。

が、XはBにとっては親子ともども恩義を感じることはあっても、憎しみを抱く対象ではないはずなのだが、その辺りの心情については触れられることがないので、どうもスッキリしないのだ。

もう一度読んで謎解きをするしかないかな。