サバ×サバな日々

メンタル不全により仕事からの敗走。休職というサバティカル、そしてサバイバルに向けて模索する日々のよしなしごと。

もともとオリンピックには期待していないけれど

先日、2020東京オリンピックのチケット抽選結果が出たらしい。

私自身はそもそも東京でオリンピックを開催することには反対だったし、そういう「お祭り騒ぎ」に便乗することがもともと好きではないので、チケットを買おうという気にもならなかった。

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オリンピックをやる時間とお金があるならば、東北の復興や、その他の地域でも地震や豪雨や台風などで困っているところの支援事業にもっと力とお金を注ぐべきだと思う。

マニアックな競技にしか使えない競技場を作って、オリンピックが終わった後強烈な負の遺産になるのは、長野五輪の時に学んだことではないのか?

それに、ついこの間「老後の必要資金2000万だか3000万」っていうならば、そっちにお金を回してほしい。

それとか、今仕事に就けない人の就労支援するとか、とにかく日本にいる人の「日々の生活」の不安を軽減することを最優先してほしい。

日本の人が少しでも安心して暮らせるようになって、初めてオリンピックをみんなで盛り上げていこうという気持ちになれるのではないだろうか。

 

確かに、子どもの頃、テレビの画面で見ているオリンピックは「凄いもの」だった。親の世代は前の東京オリンピックを知っている。だから、「あれ」をもう一度日本で、東京で出来たらば、という憧れがあるのもある程度は理解はできる。

ただ、20世紀末からオリンピックはどんどん商業主義に走り、大人になった私にはしらける部分もたくさん出てきた。

今回の東京招致はちょうど東北復興かオリンピックかで意見が割れていたし、いざ東京に決まればレースをするには暑すぎるコンディション。一般人からはどうしてこの時期にオリンピックなんだ、という声ばかりが上がっている。ここ数年で7月8月の平均気温はどんどん上がり、35度を超える日も珍しくなくなっている。

そんな中で、選手は「ベストなパフォーマンス」をすることができるのだろうか?

そして、決して安くない金額でチケットを買おうとしている観客候補の人たちは、観戦も過酷な環境になろうであろうことを理解しているのだろうか。

更に、一番お気の毒なのは「ボランティア」の人たちである。酷暑の中、「おもてなし」という名目で高い接遇力を求められ(語学力だったり対人接客能力だったり)、なのにプロフェッショナリズムに対する対価は「ボランティア」故に支払われない。

それって、「やりがい」搾取じゃないの、としらけてしまった私はふと思ったりするのだ。

ああそうだ、なぜその7月8月の酷暑にオリンピックをやらざるを得ないのか?ということについて、一般人は知らされていなかった。もともとの前提条件として、「他のプロスポーツシーズンと重ならないこと」が条件だったようだ。つまり、秋になればサッカーやらアメフトやらが始まるし…視聴率が取れない等々、もうスポンサーの都合なのだ。

となると、地理的条件として7月8月でもオリンピックができるところは限られてくるのでは?南半球か、高地でその時期でも涼しいか、北半球で高緯度のところか。

嗚呼、なにが「おもてなし」だろうか。

まあ、この間読んだ「京大変人講座」の一稿によると、「おもてなしには裏がある」というのがまとめだけれど。

 

京大変人講座: 常識を飛び越えると、何かが見えてくる (単行本)

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