サバ×サバな日々

メンタル不全により仕事からの敗走。休職というサバティカル、そしてサバイバルに向けて模索する日々のよしなしごと。

387 父の葬儀

ようやく、父親の葬儀当日となった。深夜に亡くなったとはいえ、葬儀まで1週間である。噂には聞いていたけれど、都会の火葬場待ちは大変だなあ、と実感した。(ちなみにこの日は「友引」なので、通常は葬儀を行わないことが多いので火葬場の予約が取れた、ということを付記しておこう)

 家族以外は参列する当てもないので本当は葬儀不要かとも思っていたが、生前、姉二人には葬儀に来てほしいとどっかに書き置きがあったし、実際に亡くなる直前に来訪したときにもそういう話をしていたようだから、極々小さい規模の家族葬をやることになった。通常は通夜、葬儀と2日かけるけれど、どうせ来る人も変わらないし、手間をかけるのも申し訳ないので一日葬である。

 リビングルームのような部屋に祭壇を設けて花をどっかり飾り、真ん中に棺を置いて、あとは牧師先生に司式を行っていただく、という形式だ。いざ蓋を開けてみると、母方の方のいとこも来てくれていて、参列者は10人を超えた。

 途中の讃美歌もYouTubeApple Musicで音源を拾っておいたおかげで、アカペラではなく伴奏付きで歌うことができたので一安心。これは昨晩、ラジカセとスマホを接続するケーブルを買いにビックカメラに走った成果が報われた。

 火葬場に着いて、最後火葬の直前にも参列者全員で讃美歌を歌うことになった。その時に、隣のレーンに後からやってきた家族ご一行様は仏式のようだったけれど、我々が讃美歌を歌いだしたら向こうも張り合うように坊さんが激しく御鈴をかき鳴らしていたので、私は笑いをこらえるのに必死になっていた。しかし、待合の間にいとこ同士で話をするとそう感じていたのは私だけではないらしく、みんな「隣の坊さん、あんなにヤケになってチンチン鐘叩かなくてもいいのにねぇ~」という結論になって笑いあっていた。

 さて、90分ほど待たされて火葬が終わると納骨である。ここでザ・関西人の相棒は東京方面の骨壺の大きさに驚愕することになる。残ったお骨を殆ど納めることもあって、東北~関東の骨壺は大きい。私もずっとそれが標準だと思っていたが、どうやら関西では違うらしい。「ちょこっとだけ拾ったらあとは捨てちゃう」らしいのだ。火葬場の職員さんは毎日立ち会っているのでプロである。「これは●●の骨~」と、いろいろと解説しつつ、骨壺に納めていってくれた。とりあえず、納骨をもって葬儀は終了。

 骨壺に納められて、父親は2ヶ月振りの帰宅になった、ということになるが、どうも実感が湧かない。