サバ×サバな日々

メンタル不全により仕事からの敗走。休職というサバティカル、そしてサバイバルに向けて模索する日々のよしなしごと。

457 葬式ドミノ

 朝、妹からLINEが来ていて、金曜日だから「フライデー」とかかな、と思ったら、そうではなかった。親戚の伯父が亡くなったらしい。

 その伯父さんは、うちの父よりも早いタイミングで身体の具合が悪くなり、要介護3とかになっていたらしい。私は地元を離れて久しいこともあって、もう数十年会っていない間柄だが、去年父親の様子見のために度々実家に帰った時にはその伯父さんの容態についてちょこちょこ聞くことがあった。ナントカ肺炎を患っているとか、酸素吸入が必要とか…結構ハードな療養生活だが、自宅で暮らしているらしい、と。

 そして12月の父の葬儀のタイミングで、従姉妹にあった時に「お父さん(=その伯父さん)の具合はどう?」と聞いたら、「あまりよくはないけれど…」という反応だった。

 年代的にそうならざるを得ないのだろうけれど、「葬儀ドミノ」が始まったなあ、という感じだ。祖父母が亡くなるタイミングがそうだったけれど、あるいっとき、葬儀が立て続けにあって、そこから暫くは一周忌だとか三回忌だとかで毎年法事、親戚が集まることになる。30年経って、今度は親世代のタイミングになったということだ。

 年末に自分の親の葬儀で経験したから、今回も葬儀まで少し時間が空くことは容易に想像できた。結局、6日に通夜、7日に葬儀となるらしい。さすがに2日続けて職場を離れるとこの時期はやることがたんまりだから、葬儀だけ出ることにするか…

454 裁判からみる「不貞行為」とか「慰謝料」とか

 できれば、裁判など縁無く一生を終えたいところだが、場合によってはお世話にならなければならないかもしれない。フツーの一般市民にとっては刑事より民事、それも離婚だとか子供の親権、あるいは相続にまつわること、お金や不動産の貸し借りなどにまつわる内容が一番あるとしたら身近なところだろうか。

 最近はTV番組などでも現役の弁護士先生が出てきていろいろ講釈したりしてくれる。あと、ネット社会になって、ちょっとした悩み事、相談事ならば、「落としどころの相場」なども調べられるようになった。昭和の昔のように、「とにかく弁護士先生に相談してみないとわからない」というよりは、恐らくサクッとネットで調べて、相場観とかも持ったうえで、でも自力じゃ無理よね、とか、もっと取るためにはプロの手を借りないと、ということで法律事務所のドアを叩くのだろう。

 そんな中、きっと市井でよくあるのは「配偶者の不貞行為」に絡む慰謝料請求とか。まあ、結婚している限りにおいては、誰の身にも起こりうる。逆に、自分が結婚していなくても、ちょっと寄っていった相手が(実は)既婚者で…という可能性ももちろんある。

 実は、裁判所における裁判でも、「こういう状態ならばこう」というテンプレがあって、それで判決を決めている。というのは過去に似たようなケースがあって、「あの時は無罪だったのに!」とか「慰謝料全額払ってもらってるのに!」となるのは都合が悪い、バランスを欠くからだ。しかし、特に不貞やそれに起因する離婚、慰謝料請求というのはかなり個々のケースが状況的に異なるし、情状酌量というか、その背景もじっくり踏んでけんとうする必要がある…らしい。つまり、裁判官も悩んでいるのだ。過去のデータソースから、類似事例を見つけて、マッチングしたい、という気持ちも大いにお持ちなのだろう。そういう気持ちが表れている資料を発見した。某法律関係の記事が掲載されているサイトで紹介されていたので、興味深くて読んでみることにした。

 チョーお堅い司法の場の人間が、一生懸命(不倫相手は)「妻とは離婚していると信じて疑わなかったので、…過失は無い」とか、「異性と交際するにあたって、同人が既婚者か否かに常に注意すべき法律上の義務は無いと解する」とか、「(いやいや不貞行為をはたらいたのは夫婦関係が破綻していたからと抗弁するけれど)多数の抗弁があったにしても、それが最終的に採用されたケースは極少である」とか、真剣に記事に起こしているのはなかなか面白い。もちろん、そういう泥沼に白黒つけるための裁判で、裁判官も職務上苦労されておられるのだ。「慰謝料の遅延損害金がいつから発生して、いくらくらいと認めるのが妥当か」とか。

 人間争いになったら、「貰えるだけ貰っておかないと損だ!」といきり立つのだろうけれど、やっぱり相場観あっての落としどころだから、その相場観を可視化するためにも、一生懸命過去の同類事件を収集して分析しているのだろう。

 しかし人間模様が色濃いこの「不貞慰謝料請求事件」の数々、漢字熟語にすれば同じだけれど、個々の事案の概要を読むと、本当にいろんな状況で、憎むべきは誰か、といろんな妄想が膨らんでしまう。(興味がある人は「判例タイムズ」1278号 P.45-64を参照されたし)

 

453 サンギョー医に会う

 月に1回恒例のサンギョー医面談。もう復職から1年以上経ち、今の部署においては少なくとも「直接的にメンタルを病むような」攻撃的な性格、言動のスタッフはいないので、そういう意味では復職のランディングはほぼ成功しているのだが、勤続維持という面に至っては決して問題が無いわけではなく…

 むしろ、去年からのプライベートの生活における生活の慌ただしさとか振り回され感(父が要介護になる~けっこうあっけなく死を迎えるまでと、今も事後処理が続いているため)もあるし、まあ実親が亡くなって日が経ってないのは普通精神的ダメージが大きいと捉えられるだろうし。

 それよりも、今確定的に言えることは、「気が付いたらどんどん人が辞めていくので、この2ヶ月をどう生きながらえるか」が最大のテーマになっているということ。

 もうしゃれたこととか悠長に構えていられるような状況ではなくて、文字通りの Dead or Aliveになりそうなので、本当に気が気でならない。

451 ラジオから流れる曲

 最近はスポーツクラブの風呂に日々お世話になることが多いせいもあり、2,3年前のようにスーパー銭湯に日々出入りすることが無くなった(地域活性化の観点からは申し訳なく思っているが…)。

 本来は風呂屋なんて、徒歩かせいぜい自転車で行くところだと思っているけれど、このご時世だとなかなかそうもいかない。私が住んでいるところでは、銭湯は市内の南側、それも南東に集中している傾向がある。我が家はどちらかといえば北西なので、真逆なのだ。自転車で行こうと思うと、「物理的には可能だが、進んでやりたいわけではない」という距離である。そういうわけで、特にスパ銭に行くときには車で行くことが殆どだけど、その回数も月に1回あるかないか程度。日頃の用足しは車無しでもできるので、すなわち車に乗るのが風呂に行く時とニアイコールである。

 そして、私は車に乗るときだけラジオを聴く。自宅にラジオが無い(多分)というのもあるし、運転しているときは逆にラジオを聞いて時間感覚を持てるのが好きなのもある。だから、聴く局はいつも一緒で変えることは無い。選曲の趣味やDJの喋り方などの好みで、ずっとFM COCOLOを聴いている。気が付いたらヒロ寺平さんはラジオレギュラーからは引退してしまったようだが、マーキーはまだまだ現役で頑張っている。実はマーキーの夕方の番組は最初に休職する直前にも帰宅する道中いつもかかっていたので、時々辛い思い出が蘇ってくるのだが…

 ところでこのFM COCOLO、曲の趣味がちょっと懐メロぽくないか、なんか懐かしいアーティスト多めじゃない?!と思っていたら、局のコンセプトがover 40がターゲットなのね、と知っていたく納得した。ユーミンやサザンはもう少し上の世代がドンピシャだろうけれど、いずれにしても90年代にバンバン売れた人を邦楽洋楽問わずに流しているのは昭和末期生まれとしてはなんともありがたい。

cocolo.jp

 そんなラジオから流れてきた最近のマイリバイバル久保田利伸とChicagoで、(Chicagoは実際はもっと上の世代が愛聴するグループだと思うが)早速配信で聴けないかと探ってみたら、最近はApple Musicでもちゃんと入っていると分かってニッコリ。

 日本はラジオ局ってまだまだ少ないけれど、海外だと一つの都市でもいっぱい局があって、それぞれがかなり個性的な方向を打ち出している。だからこそ、それぞれの曲に「お気に入りリスナー」が付くのだろうけれど、そういう意味ではドイツ・ベルリンのRbbも90年代の曲ダダ流しなので割と好みだ。

www.rbb888.de

日本でもiPhoneアプリ経由で聴くことができる

450 映画「落下の解剖学」を観にいく

 普段、あまり映画館には行かない性質なのだが、気になる作品があったので映画館で観ることにした。1週間ほど前に雑誌だかネットだかの評判を見て、カンヌ映画祭パルムドール受賞、そして今年のアカデミー賞候補にもなっていると聞いて、ふーん、と思ったのがきっかけだ。相棒に声を掛けたら、「じゃあ連休中、初日に観にいこう」と話がすんなりまとまり、前売りチケットを買うことにした。最近はネットで前売券が買えて、しかも劇場の座席指定までできるらしい。しかも、座席指定したチケットはQRコードがメールで送られてくるので、当日はチケット発券の必要も無し。便利になったものだ。

 さて、映画の内容は、というと、(以下ネタバレを含むので、ネタバレが嫌な人は映画を見てから読んでいただければ)ああフランス映画だなあ、というのが一つの感想。誰もハッピーにならず、不条理さ満載で最後までいっちゃうのかー、というぐずぐず感。

 登場人物はそんなに多くなくて、作家の女性(主人公)、夫、その子供である息子1人、飼い犬、弁護士くらい。舞台も自宅と法廷くらい。山中の別荘のような家に住んでいた作家夫婦のうちの夫が、自宅の窓から転落死。自殺なのか?事故なのか?事件(他殺)なのか?ということになり、目撃者がいない以上、どっちの可能性もあるーということで、妻が疑われ、裁判にまでなってしまう。検察側は当然有罪にしたいので、妻が仕組んだ殺人だ、と主張して、いろんな証拠を引っ張り出す。そして、視覚障害のある11歳の息子まで法廷で証言することになるのだが、果たしてその証言の信ぴょう性はいかほどに…というのが大まかなあらすじ。

 妻役をやっている女優さんはドイツ人で、確かに演技は秀逸。導入部の描写も、なんとなくこの人怪しいなあ、と思わせる態度が随所に出ている。ただ、時間が経って裁判の過程になると、「もともと夫婦仲が良くなかった」とか、とんでもない証拠が出てきたりとか、「ああやっぱり」なのか「ええーっ」なのか、見ている方が心揺さぶられる、お前どっちやねんという展開になる。

 ドラマが佳境になったところで、証拠の一環として録音テープ(とどういう状況で録音されたかの風景)が出てくるのだが、この妻の怒り方がドイツ人ぽいなあ、と見ていて納得した。ハリウッド女優、ハリウッド映画ならば、ここはギャンギャン怒鳴りあうんだろうけれど、喧嘩のボルデージが上がるにしたがって彼女が冷静になっていくのがまた見もの。

 そして、邦画とかイギリス映画だったらば、最後の裁判が終わった後に、回想シーンとして、妻あるいは息子が夫(息子が犯人ならば父親)を突き落とすシーンが入り、「あーよかった、バレませんでした」(あるいは、本当の犯人は息子でした)という一種の「解決」が入ってエンディングとなるのだろうけれど、そうはならないのがフランス映画ゆえか。単純明快でないだけに、アカデミー賞獲得なるかどうかは、ちょっと微妙な路線。観る価値はある、けれどそれなりに疲れるので、根性込めて鑑賞することをお勧めする。

gaga.ne.jp

 

447 日記のまとめ書き

 2021年から「5年連用日記」をしたためているが、これがなかなか「毎日きちんと書く」のは習慣づいていない。ついつい、1週間分、とかまとめて書くことになる。

 

sabasabadays.hatenablog.jp

 

 2年前から、プライベートの手帳はライフログを兼ねているので、それを見返すことで「ああ、この日はこんなことがあってー」「●●をしてー」と思い返すのは簡単になった。だからとて、まとめて書くのは、本来の日記の目的である「その瞬間」に思ったこと感じたことを封じ込める、その力は弱まってしまうなあ、と。

ポジティブでもネガティブでも、その時その瞬間に持っていた気持ちは、やはり時間とともに薄れてしまうので、逆に強烈過ぎるようなフィーリングは「その時」に書いてしまったらマズい、のかもしれないけれど、やっぱり「そこまでカッカしてたのか」とか、後々思い返して分析することも一つの材料になるのだから、やっぱり間が空くと資材としてはよろしくないのだろう。

それでも、ほぼ毎日そろばんの練習までは習慣づいてきているけれど、3行の日記はまだ日課に馴染んでいない。気が付けば1ヶ月分くらいたまってしまった。もはや8月29日の夏休みの宿題状態である。今日ようやく観念して、広島に出張に行った辺りのことを思い出しつつ書いた。ほかにもインパクトのあった日は2行くらいだけど白いところを埋めていった。そして残るのが「いつもと変わらない平日」。何があったのかを思い出すのもだんだん困難になっていく。結果として白いまま残りそうだ。

 

446 妹に頼まれた公図を取り寄せる

 またもや実家のソーゾク問題。今暫くは相続した金融資産、各口座の残高の算出や、実家の土地建物の評価額の算出の精査の段階。

お金と数字は関わるのが苦手だし、何より金融機関へのアクセスを考えると妹に任せた方が無難ということで、全面的にお任せしているのだが、ここにきて「公図がほしいかも」と言われた。公図?なんだって?地図ってこと?よくわからないが、いずれにせよ、例の法務局のシステムでオンライン取り寄せができるらしい。

えーと、「地図・図面証明書」ってところから申し込めばいいのか。それで、「地図証明書」っていうのを申し込めばいいのかな…火急ではないけれど、速達にしておこうっと。  ポンポンとボタンをクリックして、最後はオンラインバンキングで手数料を支払えば、あっという間に請求完了。果たしてこれで、お目当てのものが到着するのかどうか…