朝起きてテレビを付けたら、見たことのある景色が映っていた。
何処だったかな、行ったことあったなぁ、と寝ぼけた頭で思い出す。
ああ、そうだ、パリだ。ノートルダム大聖堂だっけーと閃いた瞬間に、赤い炎が聖堂から吹き上がっている映像になった。
なんだこれは?
映画にしてはやり過ぎではないか?
シャワーを浴びて部屋に戻ると、画像はまだ燃えているノートルダム大聖堂のままだった。
映画でも虚構でもなんでもなく、現実に燃えてしまったと。
そういえばこんな体感をしたのは、
貿易センタービルに突っ込んでいった飛行機。
それが2回。
その時私はまだ社会人になって間も無く、時間のゆとりもあったのでスポーツクラブに通っていた。
(とはいっても週1で初心者のスタジオクラスに入るのがやっとだった。その後すぐに退会した)
クラスのコマが終わって、ロビーに出ると、置かれていた大画面テレビに映っていた映像ー貿易センタービルから黒煙が上がっている。
音声もアナウンスも何もなく、一瞬映画か何かかと思った。
それが現実のことで、本当に飛行機が突っ込んで、しかもテロだと分かったのはひょっとしたら次の日のニュースだったかもしれない。
今回の大聖堂の火災はテロではないらしい。修復修理の最中で、その工事に何か関係しているかもしれない、と…
数年前、冬にパリに行った。その時に、「観光客らしく」ノートルダム大聖堂は見学しておいた。実はバタクラン劇場でのテロがあった直後なので、非常事態宣言が出され、大聖堂も含め、メジャーな観光名所の周辺は銃を持った兵士がパトロールしていた。街中で迷彩服、銃を見るのは平和な日本で暮らしている私としてはちょっと違和感を感じ心痛んだけれど、そうするしかなかったのだろう。「テロの直後にパリに行くなんて」と心配?されもしたが、むしろ普段より防犯治安上は安全だったのかもしれない。
想い出を横に置いておいて、
ノートルダム大聖堂といえば、パリのアイコンのひとつだ。
もちろんエッフェル塔や凱旋門、他にもいろいろあるけれど、それが「失われる」というダメージはとても大きい。
これから、どうなるのだろう。
失う、ということは痛みも伴う。