サバ×サバな日々

メンタル不全により仕事からの敗走。休職というサバティカル、そしてサバイバルに向けて模索する日々のよしなしごと。

サバイバル日記333日目(半分「しか」ない、か、半分「も」ある、か)

おっと、今日でサバイバル生活333日目か。

早いものである。3がみっつ並び。

気が付いたら2月ももう終わりそうな勢い。今年は閏年だから1日多いじゃないか、と思っていたらところがどっこい、今年からは天皇誕生日が2月になって1日稼働日が減る、ときたもんだ。ぶっちゃけ仕事を休めるのは嬉しいけれど、別にそれで仕事も1日分減ってくれる、という訳ではないから、むしろ少ない2月、いつもより3割増し位でモノごと処理していかないと全く追いつかない。

ただ、そんな中、私は基本「ものごとを悪く考える方」だということを改めて認識しつつある。常に「サイアクの事態」を考えてしまうのだ。まあ、「サイアクの事態」になりつつあっても、「本当に」最低最悪の事態にはならない。大抵、「ちょっとしたダメージ」レベルで収まる。だって大人だったら、普通、「やっべぇ」と思ったら、そこから何らかのアクションを起こすだろう。

仮に、起こしたアクションが「自爆テロ」的な「ものごとをもっと悪い方向に持っていく」だったら知らんけど、普通そういう場合のアクションは「鎮火」だ。

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常に「サイアク」を想定していると、「無事故でつつがなく事を為し得る」のが「本当にありがたいこと」だと思う。逆に、「事故は起きない、起きる訳がない」想定だと、事故が起こったときに…どう思うのだろうか。

なーんとなく、なのだが、今の部署にいる「偉い人」は、「ものごと上手くいって当たり前、事故が無くて当たり前」という性分なのだろう。(だからこそ昇進出世街道を邁進されているのだろうけれど)

私は真逆で、世の中不確実で絶対なんてものは無いと思う。人間は常に間違えるものだし、間違いを修正しながら生きていくのが常だと思っている。

もちろん、「学習しない、できない」、愚かさ故の失敗はいただけない(2回以上同じ過ちを繰り返すっていうのとかね)。でも、明日ーというか、次の瞬間にどうなるか、は誰も分からない。だから、私はコップに水が半分「しか」ない、と捉えてしまうし、それを見て「次の給水ポイントは何処だろう」とか「小銭入れに110円あるかな」とかサキヨミしてしまう日々なのだ。

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で、今月はあと1日「しか」ない。

その1日をどういう風に使えば満足できるのだろうか。

そういえば明日は「プレミアムフライデー」だな(もはや死語)。

新型コロナのせいで、それどころじゃないけれど。