一度は読んでいた「天上の葦」、ようやく読了。
数ヶ月前にこの作者に惹かれて手に取った時には、痛快なミステリーアクションとしての側面を楽しんだ。
しかし、よく考えたら、この作品のコアに流れている、「権力が自由を奪う」ことや、「報道の(自主)規制」というのが、市民の普通の生活においてでも有害で、市民の側が「そうならないように」権力側の動きに着目しておく必要は常にある、ということを痛感させられる。
今現在の状況なんてまさにそれだ。
だからこそ、この作品は、単なる小説ではなくて、自分ごととして、今置かれている状況に重ねて読むことができる。
風呂の中と部屋の中では、没入感が違います
本当は、もっと、スガジイの狡猾な政治の有様とかについて、(件の学術会議の件とか)考えていることをまとめていきたいのだが、なかなか時間も心の余裕もない。
だけど、この「時間も心の余裕もないから」って放置してしまうこと、それこそが「まあいいか」と思わせる術なのか、とすら思ってしまう。