サバ×サバな日々

メンタル不全により仕事からの敗走。休職というサバティカル、そしてサバイバルに向けて模索する日々のよしなしごと。

サバイバル日記43日目(ピアサポート、なのか)

約半年前の12月上旬、私が所属しているある研修会で、その研修会が認定している資格取得を希望している人がいる、と懇親会の場でXさんに引き合わせられた。

(いや、正確にはその研修会の以前の会でXさんにお会いしたことはある。なので、初対面ではなかった)

実は私自身も約2年がかりでその資格取得のプロセスを経て、新米資格持ちになったばかりの身だった。

しかも、「メンターやってあげてよ」と依頼してきたのは、他でもない、私が押しかけ女房のようにメンターをお願いしたYさんだったので、断るわけにはいかない。

こんなド新人がメンターやるってどうよ、と思いながら、二つ返事で引き受けた。

しかし、その数日後、心身共に「ぶっ壊れた」私は病院に連れ込まれ、そのままサバ生活に突入した。

資格取得のためには、いわゆる研修会で学んだこと、みたいなテーマでレポートを書かなければいけない。草稿を読んで、リバイスを手伝う、時にはディスカッションもして内容を深める、自らを振り返ってもらう、というのがメンターの主なお仕事だ。

しかし。12月13日以来、私は職場のメールを見ることができなくなった。出勤できなくなったからだけではなく、リモートでメールを閲覧することはできたが、とにかく職場、仕事に関わることを全身が拒否するようになってしまったからだ。

Xさんには職場のメールアドレス、連絡先しか知らせていない。職場の名刺で名刺交換したから、当たり前といえば当たり前だ。

サバ生活を続けながら、Xさんとのやり取りが滞っていることは気になっていたが、それでもそのためだけに職場のメールを確認する気力は湧かなかった。

結局、職場のメールボックスを気力を振り絞って開けたのは、3月も半ばになってからだった。

休業した途端に私は部署のグループメールから外されたのか、驚くほど溜まっているメールの量は想像を下回っていた。そしてXさんからのメールは無かったので、一旦は安堵した。

そして、復職間際の3月末に、Xさんから研修会メンバーのメーリングリスト宛に「メールアドレスが変わりました」という連絡が入った。

これが1つの機会だと思い、復職して1週間くらい経って、新しい部署、新年度の激動が少し落ち着いた時に、「レポートの調子はどうですか?ひょっとして私がうんともすんとも言わないので、呆れてメンター替えましたか?実は年末から引きこもって4月に復職したばかりで…。」と3ヶ月の無沙汰と非礼を詫び、近況お伺いをした。

Xさんからすぐに返信があった。驚くべき内容だった。

なんと、1年前の私と全く同じシチュエーションがXさんの身に降りかかっていた。

不本意な異動で4月から全く違う部署に配属になり、打診も上司からの調整も無かったと。心身のバランスを崩して仕事を休んでいます、と書かれていた。

まさに、「心中お察しいたします」としか言えない。日本のいわゆるサラリーマン、総合職は大概組織の都合で振り回される。時としてそれは不本意、合理性に欠けるもので、仕事へのモチベーションや働きがいの喪失にもつながる。

とりあえず、そういう状況であるならば、まずは仕事や職場のことを考えるのも辛いだろうから、レポートのことは無理せず、ゆっくり心と体を休めてください、という他ない。

あとは、自分のこれまでのサバ生活の知見で役に立ちそうなことを少しずつ情報提供しているやりとりを細々と続けている。

基本中の基本だけど、病院行って診断書貰いましたか?とか、いつまで休めそうですか?とか。

私はXさんを救うことはできないし、具体的な状況改善ー異動を撤回するとか、そんなことはできない。ただ、この1年間の苦悩の体験を振り返って、「とんでもない立場に立たされたけど、それでもそれを誰かと共有できる」機会を得たということだろうか。

言うならばこれもピアサポートなのか。

目下気になっているのは、傷病手当金の申請してるかな、っていうことと、それって職場によって制度が違うのかどうかということ。あとは、休業と休職、療養や、病休扱いの期限がいつまで持つのか、それをXさんが知っているかどうか、というところだ。

私は社会復帰はした。前とは別の部署で、4月以降はなんとか職場でも気を張らずにやっていけている。でも、決して過去の辛い思いが消えたわけではない。まだまだ傷は癒えていない。

今、自分のことを積極的に語ろうとは思わない。

Xさんの困りに耳を傾ける(実際はメールを読む)、それも一つの「かたちが変わった」自分との向き合いだと感じている。

すぐに、とは言わない。Xさんが、少しでも、心持ちが楽になってくれることを願ってやまない。