サバ×サバな日々

メンタル不全により仕事からの敗走。休職というサバティカル、そしてサバイバルに向けて模索する日々のよしなしごと。

372 さながら熟年夫婦の喧嘩のように

夕方、職場の人から愚痴を聞かされる羽目になったのだが、普段そういうことをあまり言わないキャラだと思っていたので、ちょっとこの展開に驚いた。

 私に対してではなく、目の前にいない人間のことだから、言い易かったのだろうか。こちらが想像するより遥かに根が深かったのか、半ばエンドレスというような状態になってしまったので、私はただ流れてくるあれやこれやの苦情を受け止める…というか、流れに身を任せて聞いているしかなかった。

 散々語りつくして本人が帰った後、これってなんだかどっかで体感したなあ、と思いを馳せたら、熟年夫婦の喧嘩のようだと思い当たった。特に、旦那さんが、言うならば「適当にあしらっていた」ら、奥さんの怒りは収まっていなくて、数年後、場合によっては10年以上経ってからも「あの時はこうだった」と(旦那さんからしてみれば)「話を蒸し返される」ような感覚。きっと、後で話題の主にこの話を振ったとしても、「そんなことで」とか、「なんでその時(すぐに)言わなかったんだ」となりそうな気配だ。

 驚きの根っこは、恐らく「すんごい昔のことまで覚えていてすべてを一気に並べる」(よくある世間の男性側からいう「蒸し返し」)部分にある。自分自身はそういった腹の立て方をできないので(注:覚えていないのではなくて、そういう表現をすると怒りがとんでもないくらいの質量になって自分でも制御不能になってしまうのに薄々気づいているからだろう)、冷静に「注意」として話ができる相手にはその都度話をする。数年(以上)に渡って、「あの時もこうだった」なんていうところまで溜めていたら、自分が崩壊してしまいそうだ。

 世の多くの人(そして多くは女性側)は、いちいち話をしても「いい加減にあしらわれるから、もう話をするのも面倒くさい」と「その時点」では我慢する、いや、スルーして、でも、不満やストレスとしては溜まっていって、ある時その不満貯金が貯まり切った時に、過去のものもすべて精算すべく「あの時も!あの時も!」と堤防が決壊したごとく「過去の不毛な出来事」が激流となってアタックしてくるのだろう。

 そう考えると、「モノ申せない相手」とずっといることはなかなか危険なことのような気がしてきた。だって、晴れの日もあれば雨の日もあるのだから、すべての日一切不満がない、ということは(ほぼ)あり得ない。どんな聖人君子であったとしても、「その聖人君子ぶりが鼻につくんだよ」というときも(きっと)ある。そんな時に、「その聖人君子ぶりが鼻につくんだよ」ということを許してくれる相手であることを切に願いたい。