サバ×サバな日々

メンタル不全により仕事からの敗走。休職というサバティカル、そしてサバイバルに向けて模索する日々のよしなしごと。

サバイバル日記Ⅱ 69日目 結婚(制度)と出産育児は必ずしもリンクするのものではないのに

  普段も自民党をはじめ与党の間抜けな政策にはカッカしているが、いつも以上に怒りを感じるのは、今読んでいる「ミレニアム」の舞台が男女平等、ジェンダーに対して開かれた社会が舞台だからで、その雰囲気と閉塞感に塗れた日本を対比させざるを得ないからだろうか。考えていて気が重くなるが、件の「同性婚に後ろ向き」な話の続きをする。

私自身は同性婚に賛成ですか、と言われたら、「賛成だ」と答える。嘘偽りない本心からいうと、理由は以下の通りだ。

  1. 同性婚であろうとなかろうと、お互いが結婚したいという意思があって、その関係を長期的に保ちたいならば、それを法的に支持してあげる制度があればいいんじゃないか。
  2. 同性を好きになることは嗜好ではない(本人が選択したものではない)から。
  3. むしろ、異性愛でかつ「子供を産み育て増やす」ことのみが婚姻の意義であるならば、そんな婚姻制度には異議を申し立てたい。

 

自分自身は今まで同性同士で結婚までしたいと思ったことは無い(そういう相手に巡り合ったことが無い)。が、今後死ぬまであり得ないか、といったら、そんな保証はどこにも無い。恐らく世の中の人みんなそうだ。

そして、3.に書いたのは自分自身にも関わってくる。じゃあ、男女の婚姻関係においても、子供がいなければダメなのか。子どもがいない夫婦は「普通じゃない、まともじゃない」のか。政府はそう言っているように聞こえる。極論すればその通りなのだろう。(だから、あの下衆極まりない杉田水脈とかいう議員がいつまでたっても処分されないのだ)

そして、科学技術が進めば進むほど、作った当時の法律が想定していなかったこともたくさん出てくる。人工授精の技術が進めば、「生物学的な親」が「育ての親」と違うことはままあるだろう。(実際に精子バンクとか代理出産とかもあるわけだし。)

じゃあ、「子どもを産み育てる」が前面にでるのならば、少なくとも、「まじめに、誠実に、家族を創りたい」と思っている同性カップルが子どもを持ちたい、育てたいというならば、それを叶えてあげるのが法律というものではないだろうか。周囲は支援こそすれ、邪魔をする必要はないのではないかと思う。

そもそも、政府や世の中、他人に「結婚するかしないか」「子どもをどうするか」指図されるような世の中は生きづらい。社会が維持増進していくためには次世代が必要だけれど、それは結果であって、少子化が起きているのは「こんな世の中じゃ次の世代を怖くて残せない」からでもある。(「ワンオペ育児」「教育費かかりすぎ」「保活」等々の理由で子どもが産めない、諦めている、というのがその現れだ)

個人的な考えの中では「結婚制度」と「出産・子育て」は切り離されているけれど、日本社会はそうではないから、どうしてもどっちにも言及せずにはいられない。