1月になんとなく立てた目標、「月に1冊は名作を読む」を着々と遂行中。
できるだけ、いろんなものを読みたいので、「古典」とか「日本文学」とかジャンルを定めないように、一番重要なのは「自分が読みたいと思う」ものを読もうと思う。
(読みたくないものを読むのは苦行で結局続かない。なにより、アタマに入らない、残らないのだ)
※注意:この先、多分にネタバレを含むので、「皆まで言うな!自分で知りたいのだ」という方は読まないほうがいいかも。
今のところの記録。
1月:「1984」(ジョージ・オーウェル:イギリス)
この本が書かれたのは1950年にもなっていない時点、ということにまず驚く。
歴史の改竄を「専門」に行うセクターが「真理省」という名称なアイロニーも凄い。(ほかにも、党のスローガンに反する人間には当然粛清が行われるのだが、それをつかさどるのが「愛情省」とかね、もう笑ってしまう。)
ただ、それを「笑って」いられるだろうか…という黒い、暗い、寒さを感じずにはいられない。
ストーリーは大きく分けて前半と後半の二部。前半は、「各省庁」が行っている(フツウの世の中では)エキセントリックだと思われる行為の数々を紹介。そして、「そこで働いている人たちは組織の一部で、自分が何のためにそれをやらされているのかを意識していない」。まさに、今の巨大犯罪組織の構図で、「自分はニュースの数値を入れ替えただけ(それが誰の真意で、どういう影響がどこまで出るのかはわからない)」等々、自分の身にも起こりえることだと置き換えるとまた背筋が寒くなる思い。
後半は更に苦しいダークな展開が待っている。
自分と、組織内のある女が「反逆的な心」を持っていることが組織にばれてしまう。その後の矯正、というか、うーん、なんとも…
まさに、第二次大戦中とかの社会主義、共産主義者(とみなされた人)への拷問とかを髣髴とさせる世界だ。読んでいる読者にも「痛み」や「自分の意に反する思考へ従順しなければいけないことに伴う不条理さ」が押し寄せてくる。怖すぎて、最後まで読み通すのが辛くなったくらいだ。
いわずと知れたロシアの文豪、ドストエフスキーの代表作。
この方の作品は基本「重くて、長い」。
もう一作、超有名なのが「カラマーゾフの兄弟」だろう。けれど、なぜそちらを選ばなかったかというと、タイトルの「罪と罰」というのに惹かれたから、ただそれだけ。
正直、なんの予備知識も持ち合わせていなかったので、1巻の2/3はさっぱり分からず。この訳においては「あれ」をやり遂げるには…とか、盛んに「あれ」が登場するのだけれど、主人公ラスコーリニコフの脳内発言故、「あれ」ってなんやねん!と数十回にわたりツッコミを入れたくなるやきもきする展開。散々引きずっておいて、「あれ」の現場のシーンは意外にあっけない。(うーん、例えるならば、「白鯨」でエイハブ船長が消えていくシーン、みたいに?)
しかし、主人公ラスコーリニコフにとって、「あれ」の行為そのものは重要なのではなく、むしろそれを行ったことによる自身へのもろもろの降りかかりのほうがあまりにインパクトが大きい、というわけで、2巻3巻は面白みが増していく。
※3巻はまだ読んでる途中。
ロシアの次はアジアだ、となんとなく閃いた。なので、中国の作家に。
中国の作家、と聞いて一番最初に思い付いたのが魯迅だった。
確か、中学だか高校だかの国語の教科書にも登場していた気がする。
そしてその作品が「故郷」だった、と読み始めて思い出した。
ドストエフスキーの「罪と罰」が麦の色、金や茶色や黒黒とした感じならば、魯迅の持つイメージカラーはやはり山紫水明、水墨画の世界だろうか。
時代も「罪と罰」より40年以上後、1900年を超えている。
日本に留学していた医大生の頃のエピソードが綴られている「藤野先生」も、心に染みる。