サバ×サバな日々

メンタル不全により仕事からの敗走。休職というサバティカル、そしてサバイバルに向けて模索する日々のよしなしごと。

サバイバル日記Ⅱ 68日目 「社会を変えてしまう」=変えたくないんだね

 ここ数日の岸田首相とか秘書官の発言とか。聞いた瞬間ムカッとしたけれど、膝蓋腱反射のように吠え立てることもできない、ある程度論理構成してから思うこと考えることを吐き出したいと思うと時間が経ってしまう。だから既にネットの世界では「古いネタ」になってしまっているかもしれない。でも、古いネタであろうとなかろうと自分にはどうでもいい。忘れないためにも書いておこう。

 

 2月1日、衆議院予算委員会の場で、夫婦別姓同性婚について「制度を改正するということになると、家族観や価値観、そして社会が変わってしまう課題」(なので、社会全体の雰囲気のありようにしっかり思いをめぐらせたうえで判断することが大事だ」)と岸田総理が発言したそうだ。

更にその2日後、2月3日の晩には(当時)大臣秘書官だった荒井勝喜が、総理大臣官邸で、記者団から同性婚への見解を問われたのに対し「マイナスだ。秘書官もみんな反対している。僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいたらやっぱり嫌だ…もちろん人権や価値観は尊重するが、心の底では嫌だ。同性婚を認めたら、国を捨てる人が出てくる」と発言したというニュース。

3日の新井失言は、当然1日の岸田発言を受けての流れだから、「同性婚」という括りはあるけれど、個人的にはこの2つは分けて考えるのが適切な検討な気がしてきた。私は政治の専門家でもないし、法律の専門家でもない、単なる一市民だ。しかし、選挙権は持っている。ならば、この国の今のあり方に対して文句を言う権利だって義務だってあるはずだ。(注:選挙権が無いなら文句を言う権利も義務もない、という意味ではない。むしろ、多くの日本国民のみんなが選挙権を持っていて一市民の自覚があるならば、猶更のこと今市会や国会で起こっていることについて適切に反応するのが筋っていうものじゃないか、と思うのだ)

《2月1日の岸田発言について》

 一番個人的に破壊力を持ったキーワードは「社会が変わってしまう」だろう。つまり、この人は、あるいは、この人の後ろにある政党は、「社会を変えることをよしとしない」のだ、と明言したに等しい。そして更に言うならば、この政権や政党が言っている公約だとか政策って、嘘っぱちだ、ということがまた露呈したわけだ。

そもそも、選挙の時に「今の社会を変えたい」とかみんな連呼しているじゃないか。政治っていうのは現状打破をするためのものじゃないのか?よりよい社会をめざすものじゃないのか?今のこの理解不能自民党の超・長期政権にあっては、そんなのは夢物語かもしれないが、それでも「社会を変えることをよしとしない」とここまで堂々と言われたら、お先真っ暗だ。これから社会に出ようとしている子ども、中学生、高校生はどう思うだろうか。

「今」行き詰っているのは、「これまで」のやり方に何か良くない点があるからだ。じゃあ、別の方法を試してみよう、と何故ならないのだろうか。そして、具体的な方法も示されている。それが、同性婚であったり、選択的夫婦別姓制度だったりする訳だ。そして一つ言えることは、この同性婚や選択的夫婦別姓制度を「導入」して、メリットを享受できる人はたくさん現れるだろう。そして、逆に「困る人」「迷惑を受ける人」は(ほとんど)いないことだ。

そもそも、「家族観や価値観」って、いつからのものを指しているのだろうか。どうせ、明治の旧制民法のことだろう。あるいは、高度経済成長期に出来あがった「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業か。さて、それを維持して「得をする」のは誰か。「損をする」のは誰か。既に言ったように、異性愛者でない人たちは、この枠組みでは「損」をする。あるいは家事労働以外で活躍したい、働きたい(特に)女性は「損」をする。だからこそ、今声を上げて新しい制度への移行を希望している。

「社会を変えてしまう」=今の状況を変えたくない、と聞かされるのは、今の制度には不備があると感じている人たちには絶望的で、さながら死刑、終身刑の宣告のように響いたに違いない。

 

岸田発言についてだけでも、かなり長くなってしまった。愚劣な秘書官についての発言はまた改めよう。