サバ×サバな日々

メンタル不全により仕事からの敗走。休職というサバティカル、そしてサバイバルに向けて模索する日々のよしなしごと。

支えてくれる人、寄り添ってくれる人

思えば秋口から自分の中ではおかしな兆候はあったけれど、なんとか心の中や外でその状況を騙くらかしながら生活していた。

忘れもしない12月11日の晩、もう苦しさ限界に達したので、遂に相棒にLINEで「心療内科か精神科に行きたい」と送った。面と向かって話すより、まずそういう気持ちがあることを予告しておこうと思ったのだ。

以前から仕事に行くのが辛いことは少しだけポロポロ漏らしていたことはあったが、具体的に何がどうして辛いのかは言ったことは無かった。話せるほど自分の中でまとまっていなかったし、それを語ることは体力気力を大幅に消耗するから。

だけど、「びよいんに行きたい」宣言で、さすがに非常事態と相棒は即察したようで、どっかかかれる病院を探しなされ、と言ってくれた。

12日の昼休み、ネットで調べた近所の心療内科や精神科に電話をかけまくった。

ただ、限界の脳みそで病院探しは獄門に等しい。しかも、予約の電話を入れても初診はすぐには受けられない、と断られることの連続。

3軒続けて断られ、4軒目、比較的新しい病院でようやく予約が取れた。それでも10日後。正直そこまで持つか分からなかった。

帰宅後、相当投げやりな気持ちになり、仮に悪化して全く動けなくなってもしゃーない、もう何もできない、やる気がしない、とスマホを放り投げて布団に潜り込んだ。

その間、相棒は病院探しを代わって調べてくれていた。

うつらうつらしているところに、「隣の駅に、予約不要の病院があるから、明日行こう」と宣言。

えっ、予約不要とか大丈夫なんそこ、と疑惑の心を湧かす私に、「とにかく早く行かないと」と迫る相棒。正論だ。

そんなわけで、翌日13日の朝一番、私は相棒に付き添われ(あるいは引っ張られ)、隣り駅のH医院を訪ねることになる。

病院に行って、即休業状態を言い渡され、職場に短絡的に連絡した後、相棒にも連絡した。

「休業って言ってもらえてよかった。とにかく今はしっかり休まないと」と返信があり、以来、私のサバせいかつを文句一つ言わず、また、ポジティブに支えてくれている。

12月中は、本当に日々寝てるだけで何もしない日も多かった。酷い時には風呂にも入らず、顔も洗わず、もちろん家から一歩も出ず、ゴミ出しの前日でも部屋のゴミを集めることもできない。

朝食べた食器が置きっ放しのこともあった。

それでも、「今は寝てるのが仕事だから」と言ってもらえるのは本当にありがたかった。

仮に、もし将来、立場が逆転して、相棒がぶっ倒れて鬱になってしまった時に、自分はそこまで許容できるだろうか。

してもらってありがたいと思ったこと、やってもらいたかったことはしてあげたい、が、本当に辛抱のいる時間が流れているとかんじるだろう。

家族–とは限らない。けど、誰か、「今ちょっとドン底で苦しいんだけど」という状況でも寄り添ってくれる人の存在は、大きいと思う。