たまに、過去のスポット的な出来事が脳裏に浮かび上がる。
作業の途中など、集中がふと途切れた時にそれはやってくる。思い出される事象と前後の作業、その時にやっていることとは全く関係ない。
大抵はネガティブな想い出だ。快不快で言えば、不快の部類の記憶しか蘇ったことはない。しかも、記憶の中にどうしてそれが、というような些細な、昔のことが浮かび上がるのかが分からない。
不惑もとうに越えた時に、20年30年も前の、なんとなく苦しいピンポイントの記憶が脳内に湧き上がる、その一瞬はなんとも居心地が悪い。
これをフラッシュバックというのだろうか。ただ、私の場合は眼の前に鮮やかにそのシーンが蘇って、当時の場に戻される、という感覚ではない。常にシーンは脳内、言うならば後頭部にぼんやりと映し出される。
じわじわと一瞬苦い感覚を味わうのは、まるで口に合わない不味い料理を供されて食べてみたもの、「…(涙)」という感触にも似ている。
それらは、言うならば「過ち」だったり、自分にとって不都合に感じた出来事で、総じて消してしまい過去だ。
けれど、個人でも集合体でも過去の歴史を消しゴムで消して無かったことにすることはできない。(更に言うならば、自分の記憶に無いからといって、無かったことにすることにもできない。)
つまり、そのできごと(多数)に対して、自分が向き合い、何らかの納得感ある結末を見つけられていないから、今に至るまでじくじくと「これ、どうなってんねん!」と噴出するのだろうか。
ただ、噴き上がるネタは決まったものではないのだ。そうなると、私の今までの生きざまはさながらモグラたたき、失敗の連続なのだということを自認するところから始めなければいけないだろう。