サバ×サバな日々

メンタル不全により仕事からの敗走。休職というサバティカル、そしてサバイバルに向けて模索する日々のよしなしごと。

サバイバル日記632日目(合わない話はつらいよ)

昨日の話。

職場の上司と話をする機会があった。いわゆるジンジコーカの面談というやつだ。自分としては別にやらなくても構わないのだが、制度としてあるので、会わない、話さないわけにはいかないという厄介(!?)なやつだ。

正直、職場のジンジコーカが機能しているのかは甚だ疑問だ。その程度は人によるとしても、大半の構成員が「評価の内容に疑問」を呈している、そうだ(以前、組合が実施したアンケートの結果より)。

昔々はどっちかというと年功序列的な風土だったけれど、私が在籍している半分の期間は、中途採用の人もどんどん増え、あるいは団塊世代がどっちゃり定年を迎え、そんな状況の中新規事業が増えるから(かたちだけ)●●長、というポストが作られ、そこに座らせる人が(団塊世代前後が少ないこともあって)いない、そんなこんなで「能力主義」といえば聞こえはいいけれど、従来のジンジコーカでは昇進昇格のスピードが間に合わないのか、どんどん制度がなし崩しになっていき、今では形骸化している…といったところだろうか。

人事としては、今時ジンジコーカやってない、というのは「ありえない」だろうから、かたちとしてあるからまあいいか、というところなのだろうか。既述の「評価の内容に疑問」というアンケート結果が公開された後の時節であっても、人事のジンジコーカに対するコメントは「充分に素晴らしいものでちゃんと機能している」だった(まるで、ご近所のどこぞのお国の広報のようだ)。しかし、「更なる改善の余地はある」と…それって、要は欠陥があるってことじゃないか。。。

 

さて、そんなわけなので、そもそもジンジコーカなどどうでもいい、と思っているのだが。話をする相手がそうではないので、話がかみ合わない。どうやら、お相手さんは、「組織のためにええことをして、高評価を得て、ポジションの上昇を目指す、これぞ素晴らしい」ということが第一義的のようだ。

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イメージでいうとこんな感じかねぇ

 

勿論、サラリーマン、組織に属する身としては、個人の主義主張、欲>>>組織の目的、目標であってはイカンのはよく分かる。

しかし。

「アナタは今●●という資格だから、サブリーダーもできるし近い将来はリーダーも狙えるのだから…」云々、と言われたところで、私の中には資格がどーの、とか、リーダーになってどーの、とか、一切無いのだ。全く響かない。

しょっちゅう相手にならなければならない、人生運命共同体、一蓮托生な家族だったら、例えば兄弟や親にこんな話をされたら、「自分はそういうことにプライオリティを置いて仕事してないから」と言い返し、場合によっては「お前は仕事っちゅうもんが分かってないんじゃ」と親父と小競り合いになったりするのかもしれない。

ただ、そんな濃密な付き合いもしない間柄だったら、いちいち訂正するのもカドが立つし、こっちも疲れる。その場だけ、「はいはいはいはい」と言って、時間が経つのを待つばかりだ。

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勿論、何年も職場にいて仕事をやっていれば、経年の知識経験の蓄積による進歩はあるし、あるべきだ。(その見返りが定期昇給なのだろう。)

自分自身、どうせやるならできるだけよい結果を出すように日々努めてはいる、が、そういう「ちっちゃい」志ではダメで、「資格を上げるような成果を出す」とか日々公言しないと、この上司は満足しないのだろうか。

そもそも、日々の「丁寧、確実な仕事」が、ジンジコーカではよい評価、申告内容に結びつくと思っていたが、それは間違いなのだろうか。

…いずれにせよ、この人と話すのは私に限らず課員みなさんお疲れのようだ、が、多くても半期に一回なので、「はいはいはいはい」で今回もオシマイにしよう。