サバ×サバな日々

メンタル不全により仕事からの敗走。休職というサバティカル、そしてサバイバルに向けて模索する日々のよしなしごと。

サバイバル日記Ⅱ 162日目 取捨選択からの「悲愴」

 音楽の方の日記に書くべきネタかもしれないが、日常生活にも噛んでいるので。

 火曜日に、笛道場に「暫く-2ヶ月は-レッスンを休む」という連絡を入れた。最近の生活は笛どころじゃあない。始めた当初は情熱もかなりあったけれど、3回目の発表会を壊滅的な状況で終えた今、具体的にやりたい曲も思いつかないし、それ以前に笛を吹いている余裕が本当に無くなっている。もう一つは、笛を吹く時間があるならば、「本業」の鋸挽きをやらんかい、というのもある。いやいや、それ以前に、もう1ヶ月くらい、鋸挽きの騒音を立てる元気もなくなっているんです-というのが実情だ。

 週末の金曜日の晩に新大阪の笛道場に行くのは、ひとつの気分転換だった。普段とは全然違う景色、最終便の飛行機の轟音を聞きながら(新大阪北側は伊丹空港の着陸コースの真下だ)笛道場に向かうのは、1週間の中でのいわば非日常だ。レッスンを終えて道場の建物から出ると、「本当の週末だ」という感じがする。面白いものだ。

 しかし、「やるべきこと、やりたこと」が気が付けば増えすぎてしまったのだろう。音楽だったら鋸挽きだけやっておけば充分だったのに、笛に手を出したし、音楽は練習が必要なのにここ半年はスポーツジム通いが日々の生活にオンされた。

 恐らく、心身の状態を考えれば、スポーツジム通いは優先順位の上の方にある。肥満傾向、あるいはコーケツアツの対策をするためには、適度な運動がマスト。それを考えれば、スポーツクラブの頻度を下げる、辞める、ことは賢明ではない。それに、運動なので、どうしても身体が動かない時には行かない。

 家の中を断捨離するように、自分の行動も、折に触れて断捨離しなければいけないんんだなあ、と思った。そして、「やらなければいけなけれど、身体も動かないし、できないよう」という呪縛が「暫く休みマウス」という呪文によって解かれたのだろうか。今日は帰宅後、なぜか無性に楽器が弾きたくなって、1ヶ月ぶりにヴィオラを取り出して音階練習などしてみた。気が付けば1時間くらい夢中で弾いていた。「1時間夢中になれる」ということは、まだヴィオラは好きなのだろう。(あ、笛だって夢中になれば1時間吹いていることはあった。けれど、今それができるかというと分からない。笛かヴィオラかどっちか選べと言われたら、迷わずヴィオラを取るけれど)

 1時間ほど練習した後、なぜか「悲愴」が聴きたくなったので、Apple Musicで音源を探す。さあ、どっちの悲愴か、といえば、勿論ベートーヴェンの方だ。2楽章。とても面白い演奏は「かの」グレン・グールドのやつだが、今日はそれではなくて「フツウ」の演奏が聴きたい。売れっ子ピアニストの清家さんの演奏なんかも入っているよ、これにしよう。

 そして「悲愴」繋がりでいえばチャイコフスキー交響曲6番。これもいい曲なんだけどね、6番を途中まで(特に3楽章あたりまで)聴くと、もっとはっちゃけたい、という気持ちが増してきて、そうなると6番を止めて5番に変えたくなる。チャイコの5番って何だろう、「聴くレッドブル」、エナジードリンクみたいなものだろうか。

 

チャイコフスキー:交響曲第4-6番

チャイコフスキー:交響曲第4-6番

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「悲愴」は他にも好きな演奏があるけれど、「チャイ5」はこれなんかどうだろう