サバ×サバな日々

メンタル不全により仕事からの敗走。休職というサバティカル、そしてサバイバルに向けて模索する日々のよしなしごと。

308 「探す」ということ

 夕方、ジムに行って、クロストレーナーで歩きながら応用情報の講義動画を見て、更に自宅に帰ってからも過去問をやる。買ったばかりの勉強机は、モノを置かないようにしているから、文字通り「3秒」で勉強開始できるのが優れものだ。

 最近実感するのが、「片付ける」というのは、ある程度ものを適正量にしないとできない、ということ。つまり、最初から「モノが少な目」であれば、片付けるという行為すら発生しない。適正量を超えたあたりから「何処に置こう」となって、更には「どこにしまったっけ(=モノの在り処が見えない)」、「買ったこと、有ることを忘れる」という不効率に繋がっていく。「モノを探す」ところから始めると、時間が勿体ないなあ、と、ようやく悟ったわけだ。(うちの相棒も、早くそれに気付いてほしい…と思う)

 ただ、知的活動においては、「自分で探す」ことが覚える・記憶を定着させることに繋がるので、いわゆる「タイパ」至上主義にはちょっと疑問を感じるところもある。勿論、どこにアクセスすれば必要な情報が得られるか、という部分では時間は短い方がいい。けれど、その過程で「AだろうかBだろうか」と思考する(あるいは試行する)のが、知的活動だから、「失敗するとどうなるか」を含めて知る、ということは悪くない。