サバ×サバな日々

メンタル不全により仕事からの敗走。休職というサバティカル、そしてサバイバルに向けて模索する日々のよしなしごと。

サバイバル生活21日目(ハッピーイースター:復活祭)

イースターサンデー。

復活祭の日。

クリスチャンの方においては、1、2をあらそう大切な日であることは間違いない。

日本にはクリスチャンがとても少ないから、「クリスマス」という日は知っていても、「イースター」を意識する人は殆どいないのではなかろうか。

かくいう私もそうだった、けど、今年のこのイースターサンデーは自分にとって特別な意味を持つ。

 

「4月からは仕事復帰したい」という思いで治療を続けてきた。

3月になって、仕事に行かない「サバティカル生活」に飽きた−というわけではないが、やはり仕事をしていない自分は自分でないようだった。

休職することで自分の評価が下がる、とか、昇進に影響が、とか、そんなことはどうでもよかった、というか、日頃から考えちゃいない。

 

 

ただ、どうにかこうにか、なにかのかたちで自分の持てるものを僅かでも社会に還元し、貢献したい、引きこもっているだけではそれが果たせない、という気持ちがあった。

(注:これは、あくまで「自分が」の話であって、他の人にもそうしろ、そうあるべきだ、ということではない。)

 そもそも、1年前の部署異動自体が想定外中の想定外で、私の適性や興味関心と180度違うものだった。他にも心身ぶっ壊れた理由はあるだろうけれど、適性も興味関心も無い仕事をあてがわれても、なかなか自分の力で組織に、社会に還元できるものをアウトプットしていくのは難しい。

   1年前、異動してからはずっと、私がそこの部署にいる意味や意義ってなんだろうと考え続けていた。もっと適性や才能がある人、自らここの部署や業務に興味関心を寄せている人が担当できるようにしたらいいのに、と。

   正直、それなりに長い社会人生活で得た知識経験が昨年の1年間で活かせた、と感じたことは殆ど無かった。(それくらい感覚が麻痺していたのかもしれない)

  おそらく、部署の上司が目をつけて引っ張ってきたのではなく、「誰かが抜けたその代わり」で引き当てられた(だけ)だろうから、部署にとっても適性も無い、仕事に興味関心も示さないモチベーションの高くない人間がいることはマイナス、あるいは害悪にさえなっていたかもしれない。

 

  どうせ働くからには、自分の持てるものを発揮して(ギラギラしたいという意味ではなく、適材適所という意味で)、社会に貢献した方が組織としても効率がいいし、自分も気持ちよく給料がもらえるだろう。

  果たして4月からの部署で「自分の持てるものが多少なりとも役に立つのか」「社会貢献できるのか」と大小不安入り乱れた状態で、私は新しい部署に放り込まれた。最初の2週間はどこの部署に行こうが毎年恒例の激務の時期なので、何も感じないまま全速力で走り回っていた。

でも、走るルートは身体と、脳みその何処かが覚えていた。「持てるもの」が役にたったのだ。

3週間目に入ると、通常モードにシフトした。PC作業の割合が増えて、集中力が前より無くなっているのはヒシヒシと感じる。30分続けて作業をするのも厳しくなっている。

それでも、日々、身体や脳みそのどこかで「かつての知識経験」で得た貯金を使いながらなんとか仕事を回して3週間持ちこたえた。

 

まだまだ完璧では無いし、どこまで復調できるのかも分からない。

でも、一応、「死んじまった」のではなくて、「復活した(あるいはしつつある)」のを日々感じる。

3ヶ月前に、黄泉の国への入場が脳裏に浮かんだが、先客がいっぱいいるということで入場パスの発行を拒まれた。今思えば、まだ自分にはやるべきことがあるだろう、という意味合いだったのだろう。

 

今日は珍しく阿片窟ではなく、おとめ塚温泉に朝風呂に行った。シニア世代のマダムたちの会話を子守唄のように、露天風呂でうつらうつらと半分寝ながら長湯するのが気持ちいい。

そんな中、ひとりのマダムが、「私は6ー3ー3制の2期生だから学校行ったって給食なんて無かったよ、食べるものも何も無いんだから」と語っていた。1945年、戦争が終わっても、その後栄養失調や餓死、病気にかかっても医療に頼れずに野垂れ死にしていた人がいっぱいいたと。そういう人を跨ぎながら日々学校に行ったり家の用事をしたりしていた、とも話していた。

私や相棒は1975年前後の生まれだ。そこから30年遡ると、1945年−終戦の年になる。敗戦からの30年と平成の30年。同じ30年という時間の中で、何が生まれ、何が無くなり、そしてこれからどうなるのか。

勝手に人生計画20年延長されて「人生100年」、そんな先のことは知ったこっちゃない、けれど、せっかく一度きりしかない人生だから、もうちょっと面白く日々やっていくのだ。

ハッピーイースター。主イエス(と自分)の復活を祝って。