仕事が終わってから一旦帰宅して、銭湯に向かう。かれこれ2年くらい、そんな生活が日常になった。
365日というわけにはいかないけれど、週4回は確実に風呂通いをしているから、すっかり日常生活習慣に組み込まれた、と言っても大袈裟ではないだろう。
銭湯に行く「良いこと」は、大きい風呂で手足伸ばしてリラックスできる…というのもさることながら、「仕事モードからの切り替え」ができる、という点だろうか。
そのまま自宅に居続けると、どうしても「日常」が続く。見たくなくても通勤アイテムが視界の片隅に入り、明日のことや来週のことが脳裏にチラつく。
しかし。銭湯に行けば、少なくとも小一時間は携帯を触ることも無いし、通勤アイテムも視界から消える。暫くは全然関係のないジェットバスやサウナのヒーター、薬湯の解説など眺めつつ、頭より五感で風呂タイムを楽しむ。
よく行く銭湯は自宅のすぐそばではないし、職場からすぐそばでもない。むしろ、その「わざわざその場所に行く・居る」という現象に意義があると思うようになった。
昔だったら風呂屋は自宅近くの処に歩いて通うものだったろうし、お客さん同士も顔見知りどころか名前も素性も全て分かったモン同士だったに違いない。
でも今は、そこまでではなく、「名前も何してるかも知らないけど、夜8:30によく会うあの人」と出くわすこと、それが拠り所にもなるのかなぁ、と。
自宅でもない、職場でもない、「居場所」、銭湯のサードプレイス化、風呂だけじゃなくて、ちょっと美味しい飲み物が飲めるとか、読みたい雑誌が読めるとか、スパ銭のマンガコーナーほどじゃなくても、「一息つけるところ」があれば、まさにそこが理想空間になるだろう。