サバ×サバな日々

メンタル不全により仕事からの敗走。休職というサバティカル、そしてサバイバルに向けて模索する日々のよしなしごと。

サバ生活総括・その2(前期〜中期:家族と支援について考える)

2019年に突入し、少し長めの正月休みが終わって、世間様は平常モードに戻った。

実はここ10年ほど、年末年始は海外で過ごしていた。お互い帰省することに制約が無い実家だし、こういう時期くらいしか長期旅行に出られない、ということで、仕事納めと同時くらいのタイミングで欧州に旅立つことが多かった。

10年もそんなパターンを続けていたせいで、大晦日や元日の過ごし方が分からなかったが、テレビを見る気力もないし、相棒は年末年始でも仕事の出番があるかもしれない、と結構気を張っていたので、文字通りの「寝正月」だった。

確か義母がおせちを少しお裾分けして持ってきてくれたんだったか。

12月にぶっ倒れた件も義母にだけは話した。彼女は対人援助職のエキスパートで、役所のケースワーカーからキャリアをスタートさせ、70を超える今も乳幼児からシニア世代までを相手に現役で働いている。

病院に行きたくても初診に時間がかかることは知っていたので、サイアク、義母コネでどこかの病院に受診をねじ込んでもらえないか、と思うところもあったし、そういう人生経験の人だから、サバ生活していることを全面否定されることはないだろう、という思惑もあったからだ。実際、初期にはかなりいろいろ気にかけてくれて助かった。

 

逆に精神的にプレッシャーだったのは離れて暮らす実の親だった。

既に書いた通り、正月明けに仕事を休んでいることを白状せざるを得なくなったが、こちらとしては一番生気が無い時だし、あれこれ語りたい、語って理解してくれる相手では無い。今は話す気になれない、と言ったら、自宅に突撃されそうになった。もっと気が滅入ってしまうではないか。慌てて辞退いただくべく連絡を入れる。

 

改めて実感したのは、相棒の存在のありがたさだった。一人だと孤独、というのももちろんあるけれど、恐らく育った環境の影響だろう、(ちなみに義父も対人援助職の専門職だった)

恐らく、頭(左脳)では「鬱状態は怠けではない」と聞き知っていても、実際に自分が仕事から帰ってきて疲れている中で、片付いていない部屋、布団で1日ゴロゴロしている相方を見て、心(右脳)でも支える、それもいつまでかわからない、その状況を続けることができるだろうか。

私は本当にこの3ヶ月のことを感謝してもしきれないが、自分が相手にそれだけのことをしてあげられるかと問われると、自信が無くなってくる。