超が付くくらい久しぶりの土曜出勤。今日はミニマム体制で、いつも40人以上いるフロアに4人しかいない。その割には電話や応接も少なく、溜まっていたペーパーワークをひたすら片付ける。
と、その時、別の部署の後輩から電話がかかってきた。げ、この間の仕事、なにかしくってたかな…と惑いながら転送された電話を受ける。
電話の主のOちゃんは、「私用なんですが…」と前置きする。
え、あなたとプライベートを語るほど親しかったかなぁ、と思っていたら、
「Mちゃんが昨日、亡くなりました。今夜お通夜で日曜日が告別式です…」と沈んだ声で話してきた。
えっ。確かに、私とMちゃんは10年以上知己である。ただ、知り合い以上友達未満。もっとも、facebookでは「友達」だが…
そして、電話口のOちゃんは、「Y先生にも連絡した方がいいですよね…Y先生は土曜は来てますかね?」と尋ねてきた。
ああそうか、私がY先生の行動パターンとか知ってるかなというのもあってかけてきてのかもしれない。
電話が終わって暫し茫然。
Mちゃんが具合が悪くなった…というのは確かに聞いていた。それも結構シリアスな状態である事も。
ずっと気にしてはなっていて、頭の片隅で今頃どんな感じだろうか、と案じていた。
けれど、秋過ぎてから私は自分自身が「崖から落ちるような状態」となって遂に年末直前に引き籠る。Mちゃんのことどころではなくなった。
去年の4月、なんとか社会復帰を果たした後、何度も彼女に声を掛けてみようと思っていた。けど、できなかった。
ひょっとして、ひょっとして、悪い方向に向かっていたら、と考えたら怖くて、何度もメッセンジャーにメッセージを送ろうとして、やめた。
そして今日。家族葬とは聞かされたけれど、Oちゃんが会場を教えてくれたのでお通夜に参列することにした。幸い、我が家からも近いし、駅からもアクセスがいいので、ちょっとでも顔を出そう。
自らの意思で参列する葬儀は初めてかもしれない。意思というより使命感のようなものに衝き動かされて会場に着いた。
本当にこぢんまりした葬祭会場で、親族もご両親とお兄さん夫婦のみのようだった。
親族以外は例の電話をくれたOちゃんと、もう1人中学以来の友達、あとは大学時代の関係者が3人、習い事関係の方が2人くらい。
無宗教式だったので、歌や演奏で連なる式だった。最後に一人1輪ずつ献花、最後に喪主のお父様からのご挨拶。
最期の顔を見た時には悲しみを通り越して安堵した。
本当は生きているうちに会いたかったけれど、こうやってなんとか対面できたのは、彼女、Mちゃんも最期に私の顔を見てから本格的に旅立とうと目論んでいたのかもしれない。
私が今日出勤日ではなくて、家でゴロゴロしていたら、Oちゃんからの連絡を受けることはなかった。そうなれば、顔を見ることなく全てが終わってしまう。
私の顔を見て、ついでに私の周囲にいた個性的かつ厄介で素晴らしい隣人たちを思い出し、最後に恩師「鬼軍曹」の姿を目に焼き付けて、こっちの世界見納めにしたのかな。
彼女が昨日旅立ったのは、決して偶然では無い、に違いない。
Bis dann、Mちゃん。